Soraがもたらす衝撃と著作権の揺らぎ
オープンAIの動画生成AI「Sora」は、日本語の「空」が由来のようですが、その動画作成能力には驚かされます。「○○に似せた動画を作れ」と命じれば、瞬く間に似たような動画ができてしまうのです。そうなれば、著作権などあってないようなものです。日本のアニメは、世界中のどこからでも発信できてしまうのです。
これはアニメだけではありません。踊りも役者の演技も、素晴らしいものが生成されてしまうでしょう。そこには、人ではない架空の存在が、人以上に踊りも演技もできてしまうのです。ダンサーも役者も、いらなくなるかもしれません。
AIが夢を奪う?若者への影響
そうした動画を見た若者はどう思うでしょうか。「とても自分はあそこまでできない」「ダンサーにはなれない」「役者にはなれない」と、早い段階で夢をあきらめてしまうのではないでしょうか。
踊りも演技も、人が創り出してきたものです。そこには、人であればこその無限の広がりがあるはずです。しかし、その無限の広がりをこれからの若者が生み出していくはずなのに、人工知能が作成した映像を見て自分の夢をあきらめてしまう——そこに、私は深い怖さを感じました。
「考える」ことを手放さないという決意
チャットGPTは文書作成の支援としては使い勝手がいいのですが、人はその活用を補助の範囲にとどめず、最初からAIに頼るようになってしまいます。そうなると、「わからないことはチャットGPTに聞けばいい」と、楽な道を選び、自ら考えることをやめてしまうのではないでしょうか。
現代社会では、コンピュータが広がる以前よりも、やらなければならないことがはるかに多くなりました。睡眠時間を削り、ゆっくりくつろぐ時間をなくし、そうやって多忙な日々を送っています。そのため、少しでも時間を有効に使おうと、一番時間をかけるべき「考える」という作業を省略しようとしているのです。
つまり、考えなくなる。それは、人間が人間であることの最も大切な部分を放棄しているとも言えるのです。
事務作業を効率化することは求められています。しかし、考えなければ人はどんどん退化していきます。私は、この一番面倒だと感じるであろう「考える」という作業を、AIに頼らず、面倒でも人間であることの証として手放さないでおこうと決めています。


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