国にしても自治体にしても、上に立つものは、様々な状況を知り、一定の決断をするためには市民の声を聞くことが必要です。声を聞かずに決断すれば、大切なことを見落として誤った判断をしてしまうことがあるというのは、大抵の方はわかるでしょう。
ただ、多くの声を聞き、そこで出された意見をそのまま実行に移すことが正解だとは言えません。多くの人が言っている意見であっても、それが正解だとは限らないのです。むしろ、大多数の声を聞いたことで、間違った結果につながってしまうこともあります。
多数決=正解とは限らない
たとえば、クラスの中で「トイレの掃除当番は、これから1年間すべてAさんに任せます」と提案し、Aさん以外の全員が賛成したとします。それは正解と言えるでしょうか。多数決であっても正しいとは言えないわけです。
つまり、多くの人が賛成しても、それが正しいと言えないことがあるのです。ただ、市民の声を聞けと言って、その多数の声どおりに政策を実施してしまえば、それは衆愚政治、ポピュリズムになってしまいます。
「聴く」ことと「従う」ことは違う
声を聞くことは必要ですし、声を聞かなければなりません。しかし、それは聴くということであり、その通りに実施せよという意味ではありません。
ところが最近は、市民の多くの声がこうだから、その声のとおりに実施すべきなのに、実施しないのはおかしいという見解を、報道の解説者でもおっしゃられる方がいます。しかし、それはその国なり自治体なりの長が判断することです。それが長という立場にある人の責任なのです。声の多寡で決めることではありません。
最終判断と説明責任が長の役目
現代社会は非常に複雑になり、一つの課題に対して、答えは幾つもあります。どの面から見ても一長一短があるのです。その中で判断をするには、多くの声、多くの側面から見なければできません。そういった意味で、声を聞くこと、様々な見解に耳を傾けることは必要です。しかし、その結果どおりに決めることではないのです。
ただ、意思決定にあたり、最終決定者は十分な説明をすることが求められます。その説明を丁寧にしていくことも、長の役目として必要なことです。
そうしてみると、上に立つ人は、相当の決断力と根気強い精神力が求められます。思い通りに進めるために、声を聞かず、自分だけの考えで政策決定をすれば、それは必ずしっぺ返しが来るでしょう。
首長という立場を長年続けていると、それだけの期間、有権者が支持しているという事実から、自分が一番正しいという考えを持つようになりがちです。そのため、人の意見は聴く必要がないと錯覚してしまうことがあるように見受けられます。素直に人の意見を聴くことのできる長になりたいものです。


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