挨拶回りで感じる「つながり」の力
私は、これまで市内各地区で挨拶回りを続けてきました。「富県の吉田浩之です。」と自己紹介すると、「富県は親戚がいるよ。」とか、「富県の友人から吉田さんのことを聞いているよ。」といった、親しみのある返事をいただくことがあります。
そういうつながりは、親近感が持てて、相手を身近に感じるものです。
挨拶回りというのは、吉田浩之は無名だからというスタンスだけでなく、自分を知ってもらういい機会ですし、新たなつながりを発見する場でもあると言えます。
そのため最近は、吉田浩之個人のつながりだけでなく、富県というつながりから新たな出会いにつながっていくこともあり、人から人へと広がっていく展開が楽しくなってきています。
市外・旅先でも広がる縁
そうした出会いは、市内に限ったことではありません。例えば旅行先で、伊那市に来たことがある方、伊那市に親せきや友人がいる方と出会うなど、さまざまなつながりから伊那市を知ってもらっている方が意外に多いのだと感じることがあります。
こうした経験は、どなたでも一度くらいはあるのではないでしょうか。
そこから会話が弾み、新たなつながりへと発展していくこともあるのです。
タイパ世代と人付き合いのこれから
今の十代前半より下の年齢の子どもたちは、α(アルファ)世代と言われています。生まれながらにスマートフォンやSNSなどのテクノロジーが当たり前の環境で育ってきた「デジタルネイティブ」が特徴の世代です。
この世代の特徴の一つに、タイパ(タイムパフォーマンス)への意識が強いことが挙げられます。つまり、費やした時間に対する効果や満足度への意識が高いというのです。
タイパの世代では、リアルな友だちよりもAIという友だちが優先されるかもしれません。自分の感情を乱されることのないAIのほうが付き合いやすく、時間の無駄もないと感じるでしょう。
そうなると、いい出会いになるか、嫌な出会いになるかわからない新たな出会いを、積極的に求めようとしなくなるかもしれません。私たちが良いと思ってきた、昭和の時代の濃い人付き合いから離れていってしまう可能性もあります。恐ろしいほどドライな社会が想像されてしまいます。
かつては、嫌な人でもご近所ならば仕方なく付き合うという時代がありました。それが、近所であっても相性が合わなければ付き合わない時代になり、今では家族や友人以外とは、近所であっても付き合わないという流れになりつつあります。一方で、そうした距離のある付き合い方は望ましくないと感じる人も多くいます。
これからの時代、濃い付き合いを求める人と、人との付き合いを避ける人との両極化が進んでいくのかもしれません。
付き合い方の過渡期なのでしょうか。それとも、社会そのものが変わる時代なのでしょうか。


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