AI時代にこそ、考える力を手放してはいけない

この一年、AIが取り上げられない日はないというくらいニュースには登場してきますが、具体的に経済を大きくけん引していくという段階には至っていない、あるいは産業界がAIを活かしきれていない状況にあります。この部分も来年に期待したいところです。

安易に使われるAIへの懸念

さて、このAIですが、使う側も安易に使いすぎているのではないかと懸念しています。考えるよりAIに聞けば手っ取り早いと、なんでも聞けば求める答えを出してくれるのです。

来年4月に市長選挙や市議選があります。その公約として伊那市の現状と課題を挙げてくれといえば、数秒で答えを出してくれるのです。非常に薄っぺらいものですが、出せてしまうのです。そして、その項目を脚色すればいいだけなのです。こんな使われ方をされて公約を掲げられては、有権者がかわいそうです。

考える力が失われていく危うさ

選挙に限らず、どのような場面でもAIに頼っていれば、考えるという力は簡単に落ちてしまいます。考えるという作業は、頭を激しく使わなければならないわけで、全力疾走するようなものです。敢えてそうした疲れることをしたくないと思う方も多いでしょう。

しかし、考えないようになれば、人としての存在意義を問われかねなくなるかもしれません。

「考える」ことの意味

「人は考える葦である」というフランスの哲学者パスカルの言葉にあるように、考えるという作業こそが人としての意味でもあるわけです。私は、面倒でもできる限り自分で考え、自分で文章にするようにしています。稚拙な言葉しか出てこないこともあります。

そうならないためにも本を読み、想像力と語彙力を養うようにしています。小説は単にエンターテイメントという面だけでなく、そうした力を養う意味もあると理解しています。

AIを使わないのは、古くオジサン的な考えと言われそうですが、個人の考える作業を楽にするためにAIがあるのではなく、事務の効率化や労働の効率化といった点で活用すればいいのであって、むしろ人はこれまで以上に頭を使わなければならない時代がやってくるのではないでしょうか。

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