慣習を続けるか、やめるか。

「8匹の猿」の寓話が示すもの

「8匹の猿」という話をご存知でしょうか。
部屋に8匹の猿を入れます。部屋の中央にはハシゴが設置されています。そのハシゴを登ると、天井から吊るされたバナナを取れるようになっています。

ただ、猿がハシゴを登ろうとすると、すべての猿に氷水が降り注ぎます。それを繰り返すうちに、猿たちは氷水をかけられたくないため、ハシゴを登ろうとする猿を攻撃するようになります。その結果、どの猿もハシゴを登ろうとしなくなります。

理由を知らないまま引き継がれる行動

その後、元々いた8匹のうち1匹を新しい猿に置き換えます。
新しく来た猿はバナナを取るためにハシゴに登ろうとしますが、他の猿たちに激しく攻撃されます。新参者の猿は、なぜボコボコにされたのか分からないまま、ハシゴに登ることを諦めます。

さらに、元々いた猿のうちもう1匹を新しい猿に置き換えます。その猿も同じようにハシゴを登ろうとしてボコボコにされます。以前ボコボコにされた新参者だった猿も、他の猿たちがやっているため、一緒になって攻撃に加担します。しかし、なぜハシゴに登ろうとする猿を攻撃しなければならないのかは分かっていません。

こうして元々いた8匹の猿を1匹ずつ置き換えていき、ついには元からいた猿はいなくなってしまいます。部屋の中の猿は、誰も氷水を浴びせられた経験がありません。それでもハシゴに登ろうとする猿はいません。
しかし、なぜそうしているのか、誰にも分からないのです。
というお話です。

私たちの社会に置き換えて考える

元のことを知らない人ばかりになってしまうと、その行為を続けている理由が分からなくなります。これは私たちの身の回りにも多く見られ、組織の慣習などはその一例といえるかもしれません。ただ、理由があっても、社会の変化が著しい現代にあっては、わからないままやめてしまっても何も困らない慣習もあるでしょう。

一方で、地域で長く続けてきた慣習の中には、深い意味を持つものもあります。しかし、その意味が分からなくなった結果、「意味がない」と思い込み、慣習をやめてしまうことがあります。ところが、それをやめたがために大切なものが失われ、元には戻せなくなることもあるのです。

続けるか、やめるかを判断するために

やめるにしても、続けるにしても、その元になっている事柄を知った上で判断した方がよいことは、数多いのではないでしょうか。

人々が長く続けてきたことには、それなりの理由があることが多いのではないかと、今日この頃感じています。

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