「指示のあった業務はできるだけ早くこなすことがよい。出来不出来よりも早さだ。」と言っていたのは、市役所時代のかつての上司でした。
早く提出することの意味
完璧と思われる内容にして、指示があった時から2週間後に提出した人より、4割、5割のできにもかかわらず三日後に提出した人の方が高く評価されると言われます。満点を求めて丁寧に仕上げた仕事であっても、その成果が、上司の求めたものと違っていれば、その2週間は無駄になります。しかし、半分にも満たない出来であっても提出すれば、上司の意図するところと合っているかどうかが確認できますし、間違っていれば、傷は浅く、修正も早くできます。何よりも早く提出することで、上司の指示に素早く反応したという高評価を得られます。かつての上司の話は、そんな内容であったかと思います。
新人指導では「丁寧さ」が優先される
ところが、新人を指導する際には、「急がなくていいから、ゆっくり丁寧に」といった指示をすることがよいともいわれます。仕事に慣れてくれば、スピードは自然に上がるものです。丁寧に仕事をしていれば、その細かなところまで目配りができ、その仕事とじっくり向かい合うことができますから、新人にとっては大切な仕事のやり方になります。
スピード感を持って仕事をしろというのは、あくまでもベテランに対しての言葉であり、新人にそれを求めては、育つものも育たなくなります。新人の中には、「ゆっくり丁寧に」と言っても、早くやり遂げてしまう者もいます。しかし、その成果は、やはり雑なものとなっているのです。
農作業と教育現場に通じる指導の難しさ
そういった意味で、丁寧さとスピードは、その人に応じて求めるものが違っていると言えるでしょう。
我が家では、農家としてトルコギキョウの栽培をしてきました。そのトルコギキョウの定植には、何人かの方にお手伝いをお願いしています。その際も、初めての人には「急がなくていいから、丁寧にやってください」とお願いしています。そう言って、その通り丁寧に定植する人もいれば、とにかく早く終わらせてしまおうと、雑になってしまう人もいます。説明しても、人によって受け取り方が違うのですから、丁寧に説明して、しすぎることはないのだろうなと思います。
人によって指導の度合いを変えなければならないわけです。このことは、仕事だけでなく、小中学校での学習に対する姿勢にも同じことが言えるでしょう。そう考えると、教育というのは、実に難しい分野の事業だと感じます。教員とは、人に教えるということを職業にしているわけですが、どうやら最近は、教えること以外の周辺の雑事に振り回されている時間が多く、教えるための時間を確保するために、時間外にも仕事をしているのが教員の実情のようです。見直さなければ、日本の教育はおかしくなってしまうのではないかと心配しています。


コメント